これから訪れる「大きな苦難」を乗り越える為の救済策は、5つの事を実践することです。
5つの事とは?《高次元からの唯一の救済策》「根拠となる聖句は概要欄をご覧ください」
5つの事
①セキュリティ対策
②45日想定の備蓄
③ある程度の武装
④その人に応じた戦術
⑤高次元(ヤハウェ)とのコミュニケーション
●プレイヤー(祈り)
●人格の向上
●聖書にある程度の関心を持つ
●ヤハウェへの信仰、信頼感を強めていく
●高次元への期待、信頼感を高めていく
今回は、5番目の「高次元とのコミュニケーション」の中に含まれている「信仰」について、こちらの動画内容を中心に、簡単にまとめてみました。
【信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか? & 新しいコメント書き込み設定】
バイブルで言う「信仰」には幅広い意味があり、一言で「こうだ。」と言えるものではないとの事ですが、真の信仰の意味や必要性、信仰を強める祈りなどについて、簡潔にわかりやすく解説されている動画です。
少しでもご関心のあられる方は、ぜひ動画をご視聴いただけたらと思います。
●真の信仰とは?
「信仰」と言うと、ものすごく宗教色の強い言葉に感じられるかもしれませんが、バイブルが言う「信仰」は、根拠のない漠然とした盲信の事ではありません。
へブル人への手紙11章1節(口語訳聖書)
さて、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
つまり、「信仰」と言うのは、どこかの宗教団体に入り、そこの指導者のいう事を聞いていたら救われる、といったそんな漠然とした盲信の事を言っているのではない、と言うことです。
望んでいる事がらを確信し
「望んでいる事がら」とは、良心が正常に機能してきた時に、誰もが望む事柄(希望や報い)全部。
「確信」と言う原語の字義的な意味は、保証が与えられた、又、法律上の権利証書と言う意味がある。
この部分は、「望んでいる事柄が、権利証書が与えられたぐらい確かなものであると確信する。」と言う事。
まだ見ていない事実を確認することである
「まだ見ていない事実」とは、今後起きようとしている事実全てのこと。
全ての見えない事柄も関係。
「確認する」と訳されている原語の意味は、色んな証拠を通して、自分自身が確認する。証しする。
この部分を字義的に翻訳すると、「まだ見ていない事実を、あらゆる証拠を通して論理的に確認する。」と言うこと。
また、自分が確認するだけでなく、確認した事柄を他の人に伝える(証しする)、という意味も、信仰には含まれている。
●なぜ疑いに負けて、信仰を弱らせてしまったのですか?
マタイによる福音書14章23~31節
26節 弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だといっておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
「幽霊」と訳されている部分の、原語からの正しい訳は「幻影」
31節 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
現代ヘブライ語の翻訳聖書を日本語に直訳すると、
「なぜ疑いに負けて、信仰を弱らせてしまったのですか?」
ここから、疑うということは、「信仰」を弱らせてしまうと言うことを読み取ることができる。
「大きな苦難」が近づいている、と言う証拠は、明確に出ています。
しかしルシファーは、そう簡単に皆様を、自分の権威から高次元へ国籍を移させるという事はさせないでしょう。
不完全な人間と言うのは、どれだけ明確な証拠があったとしても、試練や誘惑などに晒されると、どうしても意識がそちらに向き、近視眼的に物事を何とかしようとなってきます。
バランスは必要だが、今、何を優先しなければならないか、と言う事です。
●信仰を強めるためのプレイヤー(祈り)とは?
マルコによる福音書9章。
悪霊に取りつかれた子どもから、悪霊を追い出してほしいと頼んだ父親と、イエスとのやり取りの場面の聖句。
マルコによる福音書9章23,24節
イエスは言われた。
「もしできれば、と言うのか。信ずるものには、どんなことでもできる」。
その子の父親はすぐ叫んでいった、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。
ルシファーからの試練や誘惑で、信仰が弱っているなと感じておられる場合は、
「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」
この言葉を、日々のプレイヤー(祈り)に含めることができます。
今回は、真の信仰について、動画から簡単にまとめてみました。
大きな苦難が間近に迫る中で、信仰を弱らせないことは、とても重要な事柄の1つです。
盲信ではなく、様々な証拠や日々の実践を通して、私たちは、唯一まことの神であられるヤハウェは間違いなくおられる事、そしてヤハウェは、ご自身を求める者に必ず報いて下さる方であるという事を確信することができます。
気づきのあられたかたは、ぜひ「5つの事」を実践して下さればと思います。
一人でも多くの方が、まもなく訪れる「大きな苦難」を生きて通過されることを心から祈っております。